■君の背中と羽の跡



「まるで羽が生えて飛んでるみたいだった」

は青峰の試合を観た後、そう言った。 ダンクを決める瞬間、3メートルの高さにあるゴールリング目掛けて飛び込む。 宙に浮いた身体はその刹那、確かに重力に逆らっているのだが、当の本人である青峰は全くそんな事はどうでも良かった。 手にしたボールをリングにぶち込む…それが全て。 でも、がその話をする時決まって嬉しそうに微笑むから、それだけで「まぁいいか」と思えた。 は青峰が試合に勝つ所も負けた所も見ている。

「悪ぃな、負け試合なんか見せちまって…」

そう零した時にもは青峰の腕をひしと掴み、大きく首を振った。

「そんな事ないよ。大輝はカッコよかったもん!負けたのは残念だけど、次は勝つんでしょ?その為にもっと強くなれるんなら良かったじゃない」

事も無げに言うは満面の笑みで青峰を見上げていた。 青峰はボールよりも小さいの頭をグリグリと撫で回し、華奢な肩を自分の胸元へと抱き寄せた。

「ったく、はノーテンキだな」
「ちょっと、せめてポジティブ思考っていいなさいよね」
「大して違わねーだろうが」
「バカ、大違いよ」

胸の中にスッポリと収まるが見上げなら剥くれてみせる見せる。 青峰はそんな表情さえも愛しくて「ウッセーよ」といいながらを強く抱き締めた。 の髪から香る甘い香りが心地良くて、ジタバタと暴れるを無視して青峰は抱き締める腕を更に強くした。






あれから時は流れ、青峰のバスケットプレイヤーとしての現役生活は幕を閉じた。 後輩の指導…なんてものは性に合わず、小さなスポーツバーを持つことにした。 今でも最低限の体力作りはしているし、近所のコートに行ったり、昔馴染みと簡単なゲームをしたりはする。 でも、もう昔のようなプレイはできない。 イメージするより早く反応したバネも、息を吸うように放ったシュート精度も、フルタイムをオールコートで走り続けられた体力も、今の青峰にはもうなかった。 だが、不思議と引退はあっさりと、それこそ青峰自身が自分でも少し意外な程あっけなく飲み込めた。 バスケを通して得たものは計り知れない。 その殆どを無くしてしまう。 それでも、無理をしてまでしがみつきたいとは思わなかった。

「大輝、そろそろ起きて!」
「…ん…っ、まだ早ぇだろ……」
「ダ~メ、そう言っていつまでも起きないじゃない。ほら、仕込みもあるんだから…起きてっ!!」

必死に青峰の身体を揺さぶるの声は起き抜けの頭によく響いた。

「…あ゛ぁ~も~分かった、分かったから、起きるって…」
「ホント?」

まだ疑うは青峰の布団を剥ぎ取り顔を覗き込んできた。 目の前での長い睫毛がバサバサと揺れる。



あぁ…今日も始まった…──────



なんとなしに脳裏を過ぎるそんな言葉に青峰はフッと笑を零すと、の腕を掴みベッドの中へと引き釣り込んだ。

「っ!?ちょっと、だ、大輝っ!!」
「なんだよ、いいだろ…」

朝はの声で起きて、一日中呼べばすぐ隣にが居て、夜も同じベッドでと寝る。
一緒に笑って、喧嘩して、楽しいことも上手くいかないことも全部、あの頃と変わらずがいる。 バスケがなくなってもが居なくならないならやっていけると思えた。 事実、青峰は俗に言う『幸せ』を今この時も感じていた。 胸に抱き込んだの躰はいつまでも華奢で、そのくせ柔らかくて心地いい。

「もぅ~、起きるって言った!」
「起きるよ。からチューしてくれたら」
「な、何言ってんのっ!…バカ……」

結婚してからもずっとは変わらず、少しからかうとすぐに顔を赤くした。 青峰は胸に顔を埋めるをギュッと抱き締め、ゆっくりと背中を撫でながら囁いた。

がチューしてくんねーなら……俺がもっとスゴイ事すんぞ?」
「はぁ!?何それ…──────っんん…ッ」
「…っん、何慌ててんだよ…バーカ」
「どっちがよ…」

はズルズルと青峰の腕から抜け出すと、ベッドから立ち上がった。

「おい、…」
「今度は何?」
「ごっそさん♪」

不敵に口角を釣り上げたそこには悪戯っ子のような笑み。
#はハァ…と盛大な溜息を吐き項垂れると、思い出したように青峰を振り返った。

「あ、そういえば忘れてた。大輝…」
「んぁ?」
「おはよ」

にっこりと微笑むに青峰も目尻を下げて「おぅ」と短く応えた。 寝室を出ていくの背中に目をやると、青峰はふと考えた。 昔よく青峰のダンクを「羽が生えて飛んでるみたい」と言っただったが、もしの背中に羽があるならきっと鳥のような幾重にも羽を重ねた力強い翼ではなくて、ふわふわと漂う蝶のような儚く柔い羽だろうと。 いつも青峰のそばをたゆたう一羽の蝶。 青峰はその蝶に誘われるまま追い掛けているのかもしれないと、思った。 付き合って、結婚して、こうして一緒にいてを捕まえた気になっていたが、全然違う。 どこにいたっての姿を探して、追い掛けてきたのは青峰の方だった。 そして、今も尚ドアの奥から青峰を呼ぶ声にどうしようもなく誘われる。 脱ぎ捨てたパジャマと掴むように取って着たTシャツとズボン。 首をポキポキと鳴らすとの声を追い掛けてリビングへと向かうのだ。




青峰だけの蝶が残した軌跡を追って。




* E N D *


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