■今はまだ
学園内にある一角では葡萄園が生い茂っていた。 ゼウスの気まぐれでころころ変わる気候にもめげずに逞しく育つ葡萄と、それを一生懸命に世話するディオニュソスは思いの外園芸部の活動を気に入っていた。 大好きなワインを自分の手で一から作る。 普通の葡萄では1年足らずで収穫もましてやワインの熟成も勿論無理なのだが、此処はゼウスの創った箱庭だ。 大抵のことが何でもありなのかもしれない。 その証拠にディオニュソスの育てている葡萄は有り得ない速さで成長し、収穫、そしてワイン精製までを可能にしていた。 人の作り出すものとは違うが、何もしないで収穫できるほどには易しくない。 きちんと手入れを施し、愛情を込めて育てた樹が豊かな実りを付けていった。 「さぁ、次の収穫も美味しい実をたくさんつけてくれよ」 ホースを片手に慣れた手つきで水やりをするディオニュソスはご機嫌だ。 高々と掲げた水飛沫は太陽の光を浴びてキラキラと輝き、小さな七色の橋を浮かばせた。 「うわぁ~…綺麗……」 「…ん?」 ひょっこりと現れた少女に気付いたディオニュソスは笑顔で手を振った。 「おーい、さん。そんなところにいないでこっちにおいでよ~」 。学園で唯一の人間。 ディオニュソスは自分の手懸けた葡萄園と同じかそれ以上に彼女のことも気に入っていた。 元々人は嫌いではない。 時に思いもよらないことを齎してくれるビックリ箱のような存在だ。 そして、もまたディオニュソスにとって興味惹かれる存在になっていた。 「お邪魔じゃないですか?」 「とんでもない。俺の育てた自慢の葡萄たちだよ。いっぱい見てやって。あ、そういえば、この前あげた葡萄ジュースはどうだった?」 「はい、とっても美味しかったです。勿体なくてちょっとずつ飲んでたつもりがあっと言う間に飲み干しちゃってました」 ふんわりと微笑う彼女の笑顔が大好きだった。 そこに居るだけで辺りが華やいで見えた。 晴れているからとか此処が清浄な世界だからとかそういうことではなくて… そう、単に『だから』という理由で。 「そんなに気に入ってくれたならまたお裾分けするよ。ちょうど飲み頃のがあるんだ」 「本当ですか!?ありがとうございます」 「それじゃあ後で部屋まで届けに行くよ」 「いえ、そんな悪いですよ。私から伺います」 ディオニュソスは変なところでムキになるを見て思わずクスリと笑を零した。 「遠慮しないで。結構重たいし、俺が届けに行きたいんだ。ダメ?」 こうして問えばが断れないことも知っている。 案の定は渋々はいと頷き、ディオニュソスはそんなの頭をそっと撫でた。 「そんな顔しないで。男は女の子に頼れたり、カッコ良く見せたいだけなんだから」 「でも…」 「女の子は甘えていい時には素直に甘えなきゃ損だよ?こんなことくらい何でもないけど、俺はもっとさんに甘えて貰いたいって思ってるよ」 みるみる内に頬を赤く染めていくの反応が嬉しくてどうしても顔が緩んだ。 自分にも少しは見込みがあるのだろうか… 冷静に考えれば人間の彼女と神の自分とでは弊害ばかりが取り囲むというのに、ディオニュソスはただ目の前にある愛らしい姿に幸福を感じていた。 「あの、ディオニュソスさん」 「ん?」 「私の部屋で良かったらお茶しませんか?ディオニュソスさんの葡萄ジュースにも合うようなお菓子も用意するんで、良かったら…」 真っ直ぐに見上げてくるの大きな瞳。 どうしても理由をつけないと手放しでは甘えてくれそうにないにディオニュソスは小さく苦笑した。 「…まだまだ先は長いか……」 「ディオニュソスさん…?」 思いがけず口に出していたぼやきには首を傾げた。 「あぁ、なんでもないよ。それよりさんの淹れてくれるお茶楽しみにしてるよ」 努めてを不安にさせぬようディオニュソスは再びの頭をぽんぽんと軽く撫でて微笑んだ。 まだ時間はある。焦る必要はない。 そう自分に言い聞かせ、ディオニュソスはを見送った。 水を浴びたばかりの葉っぱがキラキラと潤い心地よい風に揺れる。 「次はせめて口実なしで二人きりになれるようにならないとなぁ~……」 ぽつりと零した言葉を聴く者は誰もない。 ディオニュソスはふぅっと一息吐くと、大きく伸びをして空を仰いだ。 そして、へ贈る葡萄ジュースを取りに自室へと足を向けたのだった。 ■戻る |