■星空に思いを馳せて
ハデスは毎夜冥府の空を仰いでは溜息を吐く。 もう数えるのも馬鹿らしくなる気の遠くなるような長い年月をこうして過ごしてきた。 夜空に星が無いことも、渦巻く怨念が四六時中ハデスを悩ませることも今に始まったことではない。 しかし、ほんのひと時とはいえ、ハデスは知ってしまった。 日中は陽の光が煌々と照らし、夜になれば月が美しく夜空に輝き、星たちが競うように煌き瞬く。 箱庭はゼウスが作り出した紛い物の世界。 それでもハデスは美しいと感じ、今では作り物の夜空さえ恋しく思う。 「ハデスさん?」 「ああ、か。どうした?」 「そろそろお休みになるお時間だったので、お知らせにきました」 純白の夜着を纏い、髪を下ろしたがにこりと微笑んだ。 「そうか、もうそんな時間だったか。悪かったな、こんな所まで」 「いえ」 「だが、城の中とはいえ外の空気に触れる此処ではお前の身体に障る。あまり来てはならないぞ」 「はい、ありがとうございます」 箱庭で出逢い、どうしても手放すことができなかった人間の少女。 にとって冥府は何もかもが毒にしかならない。 世界に満ちた怨念や憎悪は大勢のない人間のはすぐに当てられてしまう。 ハデスは居住する城とその周囲に巨大かつ強固な結界を張り、への影響が及ばないよう計らいはしたがどこまで持たせられるかは冥府の長たるハデスをもってしても分からない。 元より人間の寿命というのは短い。 神であるハデスからすればの一生など瞬きよりも儚い時間だ。 加えて、人間を冥府に生きたまま住まわすなど前例も無い。 どこにどんな影響を及ぼすのか見当もままならぬ状態だ。 それでも、ハデスもも選んでしまった。 共に歩む未来を。 「ハデスさん…」 「ん?」 寝室へ向かう途中、ポツリとが尋ねてきた。 「ハデスさんもやっぱりゼウスさんやアポロンさん達の居る天界に住みたいんですか?」 思いもよらぬ問いかけにハデスは一瞬目を見開いた。 「いや…しかし、何故そう思う?」 「その…毎晩夜空を眺めてらっしゃるから、空にある故郷を思っているのかと……」 彼女の表情が曇るのを見て、ハデスはの手をそっと握った。 見上げてくるを不安にさせぬようにと、できる限りの精一杯で微笑んだ。 「案ずるな。俺はもう天界に未練は無い。それこそ、故郷など…そんな事お前に言われるまで忘れていたくらいだ」 「…そう…なんですか?」 「あぁ」 「でも…じゃあ、どうして空を見ているんですか?」 「箱庭でと見た夜空を懐かしんでいた。此処では見ることのない星空の美しさと、お前と過ごした貴重な時間だったからな。出来ることならもう一度あんな風に満天の星空の下でお前と天体観測をしてみたいものだ」 「ハデスさん……」 本当はと出逢う以前からしてきた習慣だったが、昔と今とでは眺める理由がまるで違う。 それをに話すことは無いだろう。 今の理由があればそれでいいとハデスは思っていた。 握った彼女の華奢な手から確かに伝わる温もり。 微笑みかけてくれる優しい眼差し、声…を造る全てが愛しい。 「中々どうして叶わなぬ願いと分かってはいるのだが…どうにも諦めきれないらしい」 そうしてハデスが苦笑を零すと、はハデスが握っていた手にもう片方の手をそっと添えた。 「それなら、明日からでも作りましょう!」 「っ!?…?作るとは…?」 「プラネタリウムです] 「プラネタリウム…そうか!その手があったか!」 から齎された提案に、ハデスにしては珍しくも興奮気味に声をあげた。 「はい、本物の夜空は作れませんけど、学園にいた頃にも一緒に作りましたね。あれをまた作りませんか?」 そう朗らかに微笑むを見て、ハデスは目を見張った。 「そ、そうか…そうだな!では、明日からは早速制作に取り掛かるとしよう」 「はい、ありがとうございます」 「いや、礼を言うのは俺の方だ。ありがとう」 はいつだってハデスに幸せを運んでくれる。 不幸であることしか許されない筈の運命だというのに、仄暗い冥府に優しい光を照らしてくれているようだった。 そうこうする内に二人の寝室へと辿りついた。 明日からの楽しみを胸に二人並んで床につくと、ハデスはそっとを抱き寄せた。 「ハデスさん…」 「もっと、傍に…」 「はい……っぁ…」 ハデスは躊躇いがちに距離を縮めたの腰を捉え、ぴたりと互の躰がくっつくように抱き締めた。 「…」 囁くように名を呼べばの躰に緊張が走るのが伝わった。 怯えさせぬようそっと背を擦り、その反面、滑らかな彼女の肌を求めるように布団の中では脚を絡めた。 ハデスは段々とに熱の篭るのを確認すると、の小さな顎先を掬いゆっくりと唇を重ねた。 触れるだけの口付けを喋むように繰り返し、その感触を愉しむ。 「愛らしいな…。今夜はお前を感じながら眠りたい」 「…はい…私も……」 頬に添えられたの小さな手に引き寄せられるまま再び重なる唇。 今度はさっきよりも深く互の唇を貪り、躰に篭る熱を混ぜ合うように二人は絡み溶け合った。 ■戻る |