■漂流の終わり
「邪魔するぜ」 「おお、これはこれは千岳殿。ようこそいらっしゃいませ。前の逗留からからは大分久しいですな」 宿場町の中に佇む一軒の宿屋の暖簾をくぐると、馴染みの主人が出迎えてくれた。 此処は千岳が常宿にしている内の一つだ。 昔からよく逗留先として厄介になっている宿で、主人も此処で働く者も皆、鬼の一族の流れを継いでいる。 「あぁ、色々面倒事が立て込んでたからな…まぁ、それも漸く落ち着いたんで、また此処にもちょくちょく立ち寄らせてもらうぜ」 「それはようございました。わたくし共はいつでもお待ちしておりますよ」 「そりゃ助かる。取り敢えずは暫く厄介になる」 「はい。いつものお部屋にすぐご案内します。…おーい、!ご案内を頼んだよー」 主人に呼ばれてパタパタと階段を駆け下りてくる音がした。 「はーい、ただいま…あっ!?…千岳さん…」 「よぉ、久し振りだな」 千岳の姿を捉えたは思わず口許を手で覆い、驚きの表情で立ち尽くした。 「ささ、。そんな所につっ立ってないでいつものお部屋だ。早くご案内して差し上げとくれ」 「あ、はいっ!…すみません、どうぞこちらへ…」 「あぁ、世話になる」 主人に促され、は千岳を連れ立っていつも千岳が利用する一室へと向かった。 馴染みの宿の使い慣れた部屋はよっぽどの繁忙期でない限りは千岳がいつ立ち寄ってもいいようにと整えられている。 勝手知ったる場所ではあったが、決まって世話をしてくれるのが宿屋の娘、だ。 主人の代にはもう相当に鬼の血は薄まっていると聞いているが、娘のにも間違いなく鬼の血が流れている。 人間の街に紛れて生活をする達は何の違和感もなくそこに溶け込んでいた。 「…どうぞ。一応のものは揃えてますが、もし何か入用なものがありましたらお申し付けくださいね」 「あぁ、いつもすまねぇな」 「いえ…千岳さんがお元気そうで良かったです」 にこりと微笑むに千岳も精悍な瞳を細め、口許は弧を描いた。 他の客室よりも些か手狭だが綺麗に掃除の行き届いた室内。 は押し入れの襖を開け座布団を取り出した。 「代わり映えのない粗末な所ですが、長旅でお疲れでしょう?まずはゆっくりなさってくださいね。今、お茶をお持ちしますから…───」 「───待てよ」 立ち去ろうとするの手を掴むと、千岳はグッと引き寄せ自分の股座にを座らせた。 「えっ!?ちょ、か、千岳さんっ!!」 「久し振りに会えたってのになんでそんな他人行儀なんだ?」 「そ、そんなこと…」 の腰に手を回し、抱き込んでしまえば彼女はもう動けない。 また、戸惑いながらもには抵抗する様子は見られず、小さな耳を真っ赤に染めていた。 千岳は、俯くの顕になった項に唇を寄せ、その滑らかな肌にちゅっと口付けた。 「…ずっとこうしたかった………」 「千岳さん…」 自然と抱き寄せる腕に力が篭る。 の温もりも、香りも全てを逃さぬように掻き抱いてしまいたかった。 「…もぅ、此処へは…私の前には来てくださらないのかと思いました」 「馬鹿言え…俺がお前を離せるわけねぇだろう。だが、今回はちと厄介だったからな…中々便りも出せずに悪かった」 片手での頭をそっと撫でてやると、は静かに首を横に振った。 「いえ、いいんです。そんな…今こうしてあなたがご無事なら私はそれで…───ぅんッ…」 千岳は振り向くの顎先を掴み、そのまま唇を塞いだ。 貪るような荒々しい口付け。 柔らかな唇の感触も、漏れ聞こえる吐息も千岳の理性を奪うには充分だった。 何度も角度を変えの口内を侵食する。 荒げる呼吸も混じり合い、千岳はの躰ごと自分の方へ向き直らせると思い切り抱き締めた。 「このまま押し倒しちまいたいとこだが…流石に…な…お前もまだ仕事あるんだろ?」 「はい…すみません……」 「なに、謝るような事じゃねぇよ」 胸元に顔を埋めるがこくりと頷いた。 そのまま綺麗に結い上げられた髪を撫でてやると、は気持ちよさそうに千岳の胸に頬を擦り寄せた。 「私は幸せです。千岳さんとこうしていられて」 「あまり可愛いこと言うなよ。離してやれなくなる」 の頬をつついてからかうと途端に真っ赤になるのだからたまらない。 千岳はちゅっとのこめかみに軽く口付けを落とし、口角を上げた。 「仕事片付いたら来いよ?お前は幸せだと言ってくれるが俺はまだ足りない」 「え…」 「ずっと一緒に居られるように…風間の里に厄介になる形だが、天霧も風間と一緒に暮らせるように手はずを整えてきた。だから、これからはひとところに腰を据えて暮らせる。そうしたら…お前と一緒になりたいと思ってる。お前の傍で一生お前とお前の幸せをを守っていけるように」 「千岳さん……」 「…散々待たせちまったけど、俺に付いてきてくれるか?」 千岳を見上げるの瞳が見開き、揺らいだ。 そして、次の瞬間ふわりと微笑うの頬に一筋の涙が伝う。 「…はい…ずっとお傍におります…」 千岳はぽろぽろとこぼれ落ちるの涙を拭ってやりながら宥める様に潤む瞼へ頬へと口付けを降らせた。 胸元に華奢な躰を抱き締め、その温もりを閉じ込めた。 ■戻る |