■スコールコール



部活やモデルの仕事で何かと忙しい黄瀬だったが、そんな中でもきちんととの時間を作ってくれる彼の優しさだけでは充分幸せだと思えた。 久し振りの休日デート。 黄瀬と付き合うまでは服やメイクに全く拘りのなかったも、黄瀬にもっと好かれる自分になりたくてファッション雑誌を見たり、街のショップを研究したりするようになった。 モデルをしているだけあって、黄瀬はそういった少しの変化にも目ざとくキラキラの笑顔で嘘のように褒めちぎるのだ。 きっと、今日もまたあの笑顔に会える…そう思うだけで#の心は踊った。

っち~!コッチ、コッチ!!」

待ち合わせ場所に着くと、黄瀬がいち早くに気付き大きく手を振った。 が着いたのもまだ約束の時間前だったが、待ち合わせする時はいつだって着せの方が早く着いていた。 もすぐに彼の元へと小走りに駆け寄ると、二人は自然と微笑み合った。

「おはよ。相変わらず早いね」
「当然ッスよ。っちとのデートに俺が遅刻なんてするはずないでしょ。今日も可愛いッスね」

黄瀬はの全身を嬉しそうに眺めると、事も無げにそう告げた。 呆れるくらい自然にそういう台詞がなんの嫌味もなく言えてしまうのだから本当にすごい。

「ありがと。この前買った時に、涼太と出掛ける時に着たいなって思ったの…変じゃない?」
「すっごく似合ってるッスよ。…ホント、そうやって可愛いこと言ってくれるから…っちは俺をどうしたいんスか?」
「もぅ~何言ってんの。ほら、早く行かないと映画始まっちゃうよ」

そうやって笑い合いながら取り留めもない話で盛り上がる。 黄瀬との時間は陽だまりのような温かさを感じさせてくれる。 黄瀬が差し出してくれた手にはそっと自分の手を重ねた。 すぐさま指が絡められ、キュッと握り締められた。 学校でも特に付き合ってることを隠してはいない二人だが、それでも黄瀬の人気は凄まじい。 ファンの女の子達の目がある以上、余計な刺激を与えないようにと必要以上に二人が一緒にいたり、まして手を繋いだりする事はしない。 そのお陰で友人たちからは「本当に付き合ってるの?」と、度々訊かれる事もあるが、二人にとってはそれくらいでちょうど良かった。 普段そうして距離を置いている分、こうして二人きりでいる時は自然と手を繋いでいる事が多いかもしれない。 久し振りに繋ぐ黄瀬の手から伝わる温もりに、は思わず顔が緩んだ。

「手繋いだだけでそんなに喜んでくれるんスか?」
「だって、涼太と出掛けるの久々だし…なんか、嬉しくって。ごめん、私浮かれてるかも」
「いいッスよ、そんなの。俺だってっちに負けないくらい浮かれてるし」

雑誌で見せるすました笑顔とは全然遠い、少し子供っぽく微笑う黄瀬の笑顔が大好きだった。



映画を観た後、ランチをして、近場をウィンドウショッピングして回る。 どうという事のないデートコースだが、は黄瀬と居られるだけで目に映る景色が華やいで見えた。

「そうだ、この後海の方に行ってみないッスか?ちょっと雰囲気良さ気なカフェ見つけたんス。今からなら夕陽もキレイだと思うんスけど、どうッスか?」
「うん、行きたい」

本当は黄瀬と一緒に居られるならどこでも構わない。 キラキラの笑顔と温もりに吸い寄せられるようについて行くだけ。 海辺の方へと移動した二人が真っ直ぐに続く道を歩いていると、小さな青い屋根が見えてきた。

「あそこッスよ」
「可愛いお店だね」
「でしょ?っちなら絶対喜んで貰えると思った!さぁ、行こ…あ゛、…アレ?」

店の扉が見えるまで来た所で二人は急に足を止めた。



───『本日休業』───



ドアの内側に手書きの貼り紙もしてあり、どうやら店の都合で急遽お休みになっているらしい。

「そんなぁ~……」

黄瀬はブラインドの下りたドアにガックリと肩を落とし項垂れた。

「しょうがないよ。個人経営みたいだし、店が開けられないような事情だったんだよ、きっと。お店の人の都合でこういう時もあるって、ね?」

何とか慰めようと試みたものの、すっかり気を落としてしまった。

「カフェじゃなくてもその辺の自販機で飲み物買って、海の方行ってみようよ。きっと気持ちいいよ?」
「…っち……」
「ね?行こう、涼太」

大きな身体を膝を抱えて縮こませた黄瀬に今度はが手を差し伸べた。
ギュッと握り締めた手の熱に黄瀬は困ったように微笑わらった。

「ついてないっていうか、結構人気の店なのに人が全然いない時点で気付けないなんて、情けないッスね…俺」
「そんな事ないよ。また来ればいいじゃん」
「ん、そーッスね。今度は絶対ここでお茶しよ」

漸くいつもの笑顔に戻った黄瀬にはホッと胸を撫で下ろした。 そして、二人は道を挟んで広がる海辺へと向かった。



広い、広い、砂浜。 休日ではあるが、あまり人の集まる場所ではないし、海のシーズンでもない浜辺は意外と静かだ。 二人は缶ジュースを片手に防波堤沿いを暫く歩くと、ベンチを見つけてそこに腰を下ろした。 引いては押し寄せる波の音だけが不規則に鳴り響く。

「今日は随分のんびりしたね」
「う~ん、俺としては不完全燃焼ッス…」
「もぅ、いつまでも気にしないの」
「ぅ~…じゃあ、っちが慰めて?」
「───っえ?、ちょっ、ちょっと、涼太っ!」

繋いだ手を引き寄せられ、バランスを崩した隙に顎先を掴まれ、一気に黄瀬のドアップが迫る。

「バッ、バカ、此処、外なんだからっ…」
「大丈夫、海しか見てないッスよ」
「…そういう問題じゃないっ!って、もぅ~……」
「ちょっとだけ…ね?」

唇をなぞる指先と色素の薄い綺麗な瞳がを誘惑する。 徐々に近付く黄瀬の唇に直視するのが耐えられなくなり、はキュッと目を瞑った。 もう、ほんの僅かで重なる……






───…ドンッ!!






…ゴロゴロゴロ……───






突如鳴り響いた雷鳴──────






そして、間髪入れずにザァーッと降り出した大粒の雨に、二人は慌てて躰を離した。 辺りを見るとほんの少し前まで晴れていた空が真っ黒な雲に覆われていた。

「ちょっ、なんなんスかこれっ!!っち、大丈夫?取り敢えず、屋根のある所まで非難しよ!」
「う、うん」

黄瀬に手を引かれ、達は走り出した。 だが、この辺りで屋根のある所と言ったら通り過ぎてきたカフェの軒先くらいしか思い当たる所がない。 仕方なく二人はそこまで行くことにしたのだが、目的の屋根の下に着く頃には揃って濡れ鼠状態になっていた。 絞れるどころか、何もしなくても水が滴る程に服も髪もぐっしょり濡れた。 ボロボロの姿で互いを見ても苦笑する他ない。

「ハァ~…ホンット今日はなんなんスかねぇ…俺、マジで凹むッス…」
「別に涼太の所為じゃないでしょ?屋根があって良かったよ」
「その前にふたり揃ってびしょ濡れッスけどね。…本当にゴメン!っちまでこんな…───」
「───ストップ。もぅゴメンはなし。これくらいどうってことないって」

は黄瀬の唇に人差し指を添えて言葉を遮った。 彼が謝る必要なんてどこにもない。 それに、はこんな状況すら少し楽しいとすら思えていた。

「私ね、今ちょっと楽しいの」
「え…」
「だって、学校じゃこんなこと有り得ないし、こんなずぶ濡れになるのも初めてだし…それに……涼太と一緒だから」



何があっても『楽しい』のだと……───



黄瀬に微笑み掛けると、今にも泣いてしまいそうな表情かおをしていた。 そして、腕を引かれたはギュッと抱き締められた。 雨に打たれてびしょ濡れのTシャツでも全然構わない。 彼が求めてくれる時、傍に居られる幸せがにとっての全てだから。

っちにはカッコ悪いとこばっか見られてる気がするッス…」
「そんな事ないでしょ?涼太はいつだってカッコいいよ」
「っ!?…それ、反則……」

を抱き締める力がキュッと込められたのを感じて、もそっと広い背中に手を回した。

「…こんな軒先で何やってんだろうね…」
「そうッスね。でも、ずっとこうしていたい気もするッス…」

店のテラスにある屋根からは未だ降り止まぬ雨が轟々と降りしきる。 は黄瀬の胸に躰を委ねながらそっと雨の中に手を伸ばした。

「ねぇ、っち」
「ん?」

呼ばれて見上げた先の黄瀬は少し元気を取り戻したようで安心した。

「このまま此処に居ても仕方ないし、近くのコンビニまで歩かないッスか?」
「歩く…って、まさかこの雨の中を!?」

半信半疑で聞き返せば、黄瀬は大きく頷いた。

「雷は大分遠のいたみたいだし、大丈夫ッスよ。それに、止むまで待つより雨合羽調達すればタクシー乗って俺んちで乾燥機もシャワーも使えていいことずくめッスよ」
「それは…そうだけど…どうしたの?急に」
「ん~…なんか、俺も楽しくなってきちゃったんスよ。それに、これだけ濡れたらもう今更って感じじゃないッスか」

楽しそうに微笑わらう黄瀬にも釣られて「そうだね、行こうか」と微笑んだ。

「あ、でもちょっと待ってっち…」

早速コンビニへ向かおうとしたを黄瀬は引き止めた。

「どうしたの?」

ニコッと笑った黄瀬は、自分の羽織っていたいたシャツを脱ぎ、その場でギュッと絞って見せた。 たっぷりと絞り出された雨水が足元に滴り、水気を切ったシャツをパンパンと軽く叩いて広げると、黄瀬はそのままの肩に羽織らせた。

「濡れて申し訳ないけど、ちょっとの間これ着てて」
「でも…どうせ私も濡れちゃってるよ?」
「ん、だからッスよ。……その…ブラ透けてるから…」

言われて初めて気付いた。 確かに着ていた服は色が薄く、下にキャミソールは着ているが、濡れた状態ではブラ紐が薄らと見えてしまっていた。

「濡れるのは防げないけど、俺のシャツなら色濃いから今よりはマシだと思うんで…間に合せにもならなくて悪いんスけど…他の奴に見られるの俺が嫌だし…」
「…涼太、ありがとう。これ、借りるね」

こんなところまで優しい黄瀬がやっぱり好きだと思った。 羽織ったシャツは大きくて、少し不格好かもしれないけど、雨の中を二人で駆けるのは嫌ではなかった。 降りしきる雨音と、水を散らす二人の足音。 しっかりと握られた手の温もりだけを頼りに、残り百メートルあまりの道を駆け抜けた。 コンビニに着く頃には雨足も弱まり、遠くの空には雲の切れ間が見えていた。 ほんのりと赤く色付く空を二人並んで見上げ、ふと互いに視線を交わせばまた微笑い合うのだった。



* E N D *


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