■いい加減早く結婚してください



仕事が存外忙しい… というのは嬉しい悲鳴だ。やりがいもある。 右も左も分からなかった新人時代を思えば、随分と小慣れてきたし、何より楽しい。 だから困るのが『恋愛との両立』だ。 就業時間はとうに過ぎ、残業するのもが最後となって、オフィスは静まり返っていた。 活気がある昼間も勿論好きだが、作業するにはこの静寂はうってつけだ。 残業が推奨されているわけではないが、近くに大きなプロジェクトを控えているは、企画書を起こす為の準備にここ数日追われていたので、こうした居残りが続いている。 膨大な両の資料の精査をする為の土台作りになるのだが、賑やかな昼よりも今の時分の方が遥かに捗った。 漸く区切りも見えてきたところでPCを弾く手にふと視線を落とすと、右手の薬指に嵌る指輪がキラリと光る。

「あ…ヤバっ!」

頭に浮かんだ彼の顔…と、約束をしていたのに時計をすっかり見るのを忘れていたことに気付き、慌ててPCの右下の数字を確認した。

「…っと、ギリセーフ!!今から行けば──────」
「──────遅いですよ」

急に耳許でした声に思わず息を飲んだ。

「っ!?って、黒子くん。どうして…」
「はい、どうせこんな事だろうと思って迎えにきました」
「最近帰り遅いって聞いてたし、さんのことだから僕のこと忘れて仕事してるんじゃないかと思ってきてみたんですが、当たりました」

淡々と、とても静かに喋る彼氏の声には肩を竦めた。



あー…怒ってらっしゃる……



ちょいちょい見える棘のある言葉。 こういう口調の時の黒子は怒ってる。 …それも、かなり。 がこうして黒子との約束を破るのはこれが初めてではない。 それでも、こうして迎えに来てくれたりと、なんだかんだ優しい黒子につい甘えてしまっているのが現状だ。

「別に待つこと自体は構わないんですけど、忘れられてるというのが納得いきません」
「す、すみません…」
「全く…仕事バカも大概にしてください」
「ハイ、ごめんなさい…っ!?」

急に後ろから抱き締められたは完全に固まった。 細身のくせに意外と躰は締まってるし、力強い。 首筋に唇の柔らかい感触がして、胸の鼓動が早鐘を打つ。 いくら自分たちしかいないといっても、ここはオフィスだというのに…

さんが仕事以外のことに鈍感なのも知ってますし、そんなところも全部ひっくるめて僕はさんが好きですよ」
「ん…いつもありがとう。私も…好きだよ…」

そっと右手を手に取られ、軽いキスが落とされる。 たったそれだけのことが酷くくすぐったくてたまらない。

「そう思うなら、どうしてこれが此処に有るんですか?」
「え?…」

薬指に嵌る指輪の事を言われ、何か間違っていたのかと確かめるように黒子に振り向いた。

「はぁ……さん、ヤッパリ気付いてなかったんですね?」
「えっと…何に…かな?」


フッと優しく瞳を細めると、黒子はするりと指輪を外した。

「ちょっ!ちょっと、待ってよ!!それって、私が彼女失格ってこと?そりゃあ自分でも褒められた彼女じゃない自覚はあるけど!でも…好きって言ったばっかなのに…」

頭の中がグチャグチャで何を口走っているのか分からなくなるに、黒子は更に笑を深くし、そっとの左手を取った。

「僕が直接嵌めなかったのが悪かったんでしょうけど…本当はコッチにして欲しかったんです」
「ウソ……」
「それでも、さんがつけてくれてるならいいかと思ってましたけど、もうただ待ち続けるのも辛いんで、同じ家で暮らしましょう。帰る場所が一緒なら今よりずっと一緒に居られます」
「ウソ……」

座っていた椅子をくるりと回され、今度は正面からギュッと抱き締められた。

「あの時だってプロポーズのつもりだったんです。なのに全然気付いてくれなくて…」
「知らなかった…本当にいいの?私で…」
「今更ですね……さん」

初めて下の名前を呼ばれた。くすりと微笑む黒子に見惚れていると、その隙に顎先を掬われ唇を重ねた。 それはまるで誓いのキスのようにゆっくりと慈しむ様な時間だった。 の左手の薬指に付け直された指輪もキラリと淡く、優しく光っていた。




* E N D *


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