■エゴイズムのリピート
黛千尋には気に入らない事が3つある。 一つは彼女───が自分以外の男と接する機会が増えたこと。 バスケ部のチーフマネージャーをしている関係でミーティングやらなんやらも含めてレギュラーの連中とも親しくしている。 勿論、それは部活の仕事上がやらなければいけないことだというのも、に黛以外の他の連中を男として見るようなことだってないのも頭では分かっているのだが、気に入らない。 今のスタメンは黛以外みんな1、2年の後輩だが、無遠慮にに付きまとうのを見ては腹立たしくてたまらない。 別にわざわざじゃなくてもいい用事を押し付けてるのも、それをやすやすと引き受けるももう少しどうにかできないのかと苛々を募らせるのだが、半分以上はと付き合ってる黛に対する嫌がらせの意味も含まれていることは黛だけが知らなかった。 黛がと付き合い始めたのは高1の夏からだった。 クラスは違ったがバスケ部の選手とマネージャーという接点と夏の合宿でそれとなく距離が縮まって、お互いに惹かれ合いながら合宿を終える頃には初めてぎこちないキスを交わした。 実力主義の洛山高校と言っても、1年でレギュラーも取れない一般部員の黛がマネージャーと付き合うなど部内に知れていいことなど何もない。 だから、今でこそ部活でも2年のクラス替えで一緒になった教室でも特に付き合っているのを秘密にすることはないが、最初の内は黛もも徹底的にひた隠しした。 元々誰にでも気さくで感じのいいは誰からも好かれる。 悪目立ちするようなこともないから変にやっかまれるような敵を作ることもないし、表立って人気のある存在ではないが、部内だけでも気にかけているようなことを言う男は何人かいた。 その度に黛は誰にも気付かれないように舌打ちし、と二人きりで過ごす際には溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように深く、深くキスをした。 が自分のものだと誇示するように。 誰にも渡さないのだと自分を鼓舞するように。 きつく抱き締めるの躰はそのまま力を籠め続けたら壊れてしまいそうな程華奢で、細い肩や肉付きの薄い腰に掛ける黛の手はいつまで経っても緊張していた。 苦しいと訴えかけて見上げると視線を交わせば言葉よりも触れたくて、口を塞ぐ。 唇を重ねるのも、舌を絡ませるのもとの繋がりを確かめる為の手段になっていった。 「ねぇ、千尋…私のこと好き?」 「なんだよいきなり」 「ちょっと…訊いてみたかっただけ」 「好きっていうか…大事っていうか…そんなの当たり前だろ。っていうか、訊かなきゃ分かんねぇの?」 「そうじゃないけど、言ってくれた方が嬉しい」 背中に回されたの腕がそっと抱き締め返す感触は、黛のそれとは違ってふわりと優しいのに、とても落ち着く。 胸元に顔を埋めるが小さな声が「千尋…」と名を囁けば、黛の躰はざわりと粟だった。 が足りないと言うならいっそ抱き潰してしまおうか…そんな陳腐な寓想が脳裏を過ぎるくらい内から滾る想いや言葉を黛は何度も飲み込んできた。 「」 「ん?」 「もっかい…」 「…ぅ…っん…」 の唇で塞いだ吐き出してはならない汚い想い。 こうして抱き締めてキスをして、を感じている間は他の余計なことなどなにも考えずにいられた。 黛千尋の気に入らないことの二つ目は、が自分の気持ちを疑うこと。 言葉にしない黛も多少なりとも悪いと思うところはあるが、それにしても付き合いだしてから2年以上経っても口癖のように訊いてくる「私のこと好き?」と。 単に言わせたいのか、それとも本当に気持ちを疑われているのか実のところ黛は分かっていない。 のように人当たりがいいとはお世辞にも言えない上に元々の影が薄い。 もう少しばかり評価されても良いんじゃないかと思うこともしばしばあるが、今の黛には日本で屈指のバスケ強豪校でレギュラー、しかもスタメンというステイタスを手に入れた。 3年になって漸く手にした光明をみすみす逃すわけもない。 転がり込んできたチャンスなのだから自分にしかできない仕事で洛山バスケ部のレギュラーとして残りの部活生活を死守すると決めた。 自惚れと言われても構わなかった。 歪みがないかと問われればノーと即答するくらいには自覚している。 それも踏まえて黛は自分自身を気に入っているのだからそれで良かった。 でも、それこそがが不安に思う要素なのだと黛は気付けなかった。 レギュラーになり、スタメンになり、試合に出る機会が多くなればなる程黛は自分に自信をつけていく。 それ自体は何も悪いことではない。 フィジカル面でどんなに優れたポテンシャルをを持つ選手であってもメンタルが弱ければすぐに潰れてしまう。 一種の自己暗示でもなんでもいい、能力を認められ、チームに必要とされ、結果に繋げるイメージが現実となり更なる自信へと繋げていく。 とても大事なこと。 けれど、間近で見ているだからこそどんどん力を発揮する黛を見ては自分では隣に並ぶのにふさわしくないのではないか、黛も面白いように力をつけていく自分に陶酔しているようにも見えて、もう自分など見て貰えていないのではないかとそんな風に考えていた。 「私のこと…好き?」 「なんだよ、またそれか」 「ごめん……」 「俺がを嫌う理由が無い。お前以外とかありえねーよ」 「ホント?」 「あぁ…」 ぶっきらぼうで不器用な黛の笑顔に、はふわりと微笑んだ。 そうしてまたを引き寄せた黛は腕の中に彼女を閉じ込め、好きかと尋ねる唇を塞ぐ。 黛千尋の気に入らないこと三つ目は、最後にして最大。 それは、を愛し過ぎていること。 切欠はとても些細な会話だったと思う。 でも、を好きになるのも、も黛に対してまんざらでないと気付くのも、さして時間は要しなかった。 『自然』と表現するにふさわしい隣にいる時の安らぎと、顔を見ただけで、声を聞いただけで高揚する気持ちに嘘はない。 触れてしまえば離れがたくて、でも、触れずにはいられない。 きっともう…手放せない────── 黛は心のどこかで確信していた。 何度抱き締めて、キスをしても満たされきれない想いがある。 「千尋…私のこと好き?」 訊かれる度に飲み込む言葉があった。 ──────『は俺のこと好きか?』────── ノーと言われることは中々想像しにくいが、もしも、万が一にもに言いよどまれたら立ち直れそうにない。 訊いてくるばかりのだってはっきりと黛に「好き」と言ったことがないのだからこれは黛にとって賭けだった。 どちらが先に折れるのか…そんな競り合いをしているわけではないのだが、どうせだったら言わせてみたいと思っていた。 きっとそれは黛の中にあるパンドラの箱を開ける鍵になる。 今まで押し込めてきた思いの丈を全部その時ぶちまけるつもりだ。 絶対後悔なんてさせてやらない。がうんざりするくらいに思い知らせてやるのだと。 「さぁ…どうだと思う?」 「質問に質問で返すのはずるい」 「うっせーよ」 チュッと瞼に口付けを落とすと、は唇を尖らせて恨めしそうに黛を見上げた。 そんな顔したって…いや、どんな顔をしていても黛を喜ばせるだけなのに。 するりと頬を撫でる黛の手が顎先を捉え、ゆっくりと顔を近付ける。 「…」 「…え……?」 ほんの数センチの距離で止まった黛はフッと不敵な笑を浮かべると、涼しげな瞳をそっと閉じた。 にキスをせがむように優しく名を呼ぶ。 戸惑うの空気が伝わればそれすらも愛しくて、早くしろと促した。 言葉の足りない二人の不器用な恋に互の『好き』が言葉にされる日はもう少し先になるだろう。 今はただ、掠めただけの唇の感触が足りなくて、それを追い求めるだけ。 ■戻る |