■二人がでっちあげた嘘
4月1日。 エイプリルフール────── 世間ではジョークが飛び交うこの日、は一つの『嘘』を終わらせた。 事の始まりは数ヶ月前、勤め先でしつこく迫る同僚に困っている事を別の同僚である虹村に相談した事が切欠だった。 虹村とは同期で、部署は彼が営業部、が経理部と離れているが、入社当初から社内で会えば話すし、連絡もちょくちょく取り合うので飲みに行ったりもしている。 恋人ではないが、にとっては社内で気を許せる大事な友人の一人だ。 その日も、会社帰りに落ち合って、近所の居酒屋で夕飯がれた飲んでいた。 「もうさ、ホンットあの人苦手っていうか、どうにかならないかな…」 「お前が愚痴るなんて珍しいなぁ。…何、そんなにめんどい奴なのか?」 「めんどいっていうか、仕事中でもお構いなしに来るから邪魔だし、他の人からも嫌味言われるし…追っ払ってもまた来るし…」 「そんなんバシッとフッてやればいいんじゃねぇの?」 虹村はビールジョッキを片手に横目でを見やった。 「ちゃんとその都度、毎回断ってる。…でも、しつこくって……」 テーブルに頬杖を突き、どうしたもんかとぼやいていると、虹村はグリグリとの頭を慰めるように撫でた。 「元気出せって。なんなら俺が協力してやるよ」 「どーすんの?」 どんな名案があるのだろうかと疑わしげに虹村を見ると、彼は自信たっぷりのしたり顔で微笑んでいた。 そして、次の瞬間、とんでもないことを口走る。 「、俺と付き合え」 「は?……」 は思わず真顔になって固まった。 だが、虹村も冗談で言っている訳ではないのだろう、彼もまた似合わず真面目な顔をしていた。 短く嘆息したは一応話だけ訊いてみるかと観念した。 「要するにだ、相手はがフリーだから諦めねーんじゃねぇの?って事だよ。お前に男ができたとかそういう話聞かねぇし、自分にもワンチャンあんじゃねぇかって考えてつきまとってるんだろうから、俺という彼氏を見せつけたらそういう嫌がらせなくなるじゃねぇかなっておもうんだけど、どうだ?」 「なるほど…」 確かに虹村の話には一理ある。 特に恋愛に関して無頓着なは誰かと付き合うとか、好きになるという事にとんと疎い。 好意を持たれるまでなら嬉しいが、行き過ぎて何とも思ってない人に付きまとわれればウザったくもなる。 だからといって、いざ誰かと付き合おうと考えても誰も思い当たる人がいない。 「で、なんで虹村くんなの?」 「俺以外に都合つく奴いないだろ?それに、何も本気で付き合えなんて言わねぇよ。一種のカムフラージュだと思って、ほとぼりが冷めるまでそれっぽく一緒にいればいいんじゃね?幸い、俺ら同期でよくつるんでるのも知ってる奴は結構いるから、今更『実は付き合ってました~』とか言っても疑われたりもないだろうしな」 「…うん、確かに……でも、いいのかな。何か虹村くんに迷惑じゃない?」 「バーカ、ダチが困ってんのに放っておけるかよ。それに、俺ほどの優良物件そうそうねぇぞ?」 虹村は優しく微笑むと、またの頭を乱暴に撫でた。 こうして、虹村の好意に甘える形で始まった偽物の恋人生活。 何かが大きく変わる事はなかったが、普段よりも意識して社内外で会うようにしたり、身近な人たちに「付き合ってるのか」と訊かれれば「そうです」と答えるようになったくらい。 当然、しつこく言い寄ってきた彼からも同じことを尋ねられ、は同じように答えた。 初めは訝しんでいたようだったが、と虹村が主張するだけでなく、周りの人達も公認となって、二人が付き合っていることがいつの間にか周知の事実になっていた。 お陰で彼がに迫ることも自然となくなり、平和が取り戻された。 しかし、も驚く程自然に広がり、思いの外あっさりと受け入れられてしまい、なんだか狐につままれたような気分だった。 何はともあれ悩みの種は虹村の言った通りなくなった。 偽物の恋人は見事に功を奏したのだ。 「そういや最近例の奴の事聞かねぇけど、大丈夫か?」 「うん、お陰様でもう来なくなって大分経つからもう大丈夫だと思う」 「そっか、良かったな」 「うん、虹村くんのお陰だよ」 前よりも頻度の増えた二人だけの飲み会で、行きつけの居酒屋でいつものメニューを卓に並べていた。 何だかんだ言っても虹村と過ごす時間はにとってとても気が楽になるひと時だった。 以前から気の合う友人だとは思っていたけれど、ここ暫く一緒にいる時間を増やしたことで益々居心地が良くなったようにも思う。 「よーし、じゃあ、今日の払いはな~」 「ちょっと、何それっ!もぅ…でも、まぁ本当に助かったからいいよ。今日はご馳走してあげる」 「バーカ、冗談だよ。いつもどーり割り勘な!」 こういう時の彼は無邪気で、幼さの垣間見れる笑顔をする。 は密かにこの笑顔が気に入っていた。 虹村と何気ない話をしながら飲むのは本当に楽しかった。 「…ねぇ、虹村くん…訊いておきたいんだけどさ…」 「んぁ?なんだよ改まって」 「私、もう付きまとわれたりしなくなったでしょ、だから…その…恋人のフリもおしまいだよねって…思って…」 ずっと考えていた。 これは一時的なもので、ハリボテのような関係。 見せかけだけの偽物なんだと。 いつかは終が来るのだと。 でも、それは、いざ口に出してみると想像以上に重く、の胸をキュッと締め付けた。 顔が上げられない。 虹村の顔を見るのが怖かった。 持っていたグラスを持つ手に自然と力が入るのが分かったが、ふと、頭にふわりと温もりを感じては釣られるように顔を上げた。 「…お前、そんな顔すんのな。そこそこ付き合い長いけど、初めて見た」 「だって……」 終わりたくない────── 終わらなければいいのに…────── そんなことしか浮かんでこなかった。 「その話なんだけどさ、俺、お前に1コ嘘吐いてんだ。……『フリ』をしようっつたのは嘘。俺は端からを俺の女にしたかったし、誰にも譲りたくなかった。…だからさ、今日…今この時から、ホントだった事にしねぇか?」 頭を撫でていた手がそっとの頬を包んだ。 温かくて大きな手…優しい、手。 「…なに…それ……」 「悪ぃ、俺の方がよっぽど下心あるっつー話だよな───」 「───違うっ!そうじゃなくて!!…いいの?おしまいにしなくて、これからも虹村くんと一緒にいて…いいの?」 「っ!?…あぁ、俺はそうしたいって思ってる。エイプリルフールにこんなこと言っても疑われるかもしれねぇけど…マジで大事にする。これからも、ずっと…約束するよ」 「…うんっ!!」 4月1日。 エイプリルフール────── 一つの『嘘』は終わりを迎え、やがて『真実』が生まれた。 ■戻る |