■呼ばれる名前は独占欲を駆り立てる
ショコルーテの街を歩く彼の横顔をそっと盗み見ると、その口元にはほんのりと笑みを浮かべている。 『ダーク』という仮名はリカの大好きな刺激も自由も彼に与えるものだと一緒に過ごしたこの数日でも感じていた。 そして、嬉しそうに街に溶け込むリカを見ていると、それだけで心の奥がポッと熱くなる。 「何か気になるもんがあったら言えよ?これでも一応お前の案内役なんだからな」 「あ…はい、ありがとうございます」 慌てて返事を返したにリカは一瞬、怪訝な表情を見せた。 「そんじゃ、今日は街の西側を案内してやるよ。こっちにも美味いショコラの店がいくつかあるから楽しみにしとけ」 どうしたのかとが訊く間もなくリカは行くぞと言って何事もなかったかのように歩き出した。 商店が立ち並び、活気に溢れる街並みはこの国の豊かさを表していた。 此処がリカの国…そう思うだけで何とも言えない高揚感が沸き上がってくる。 どこからともなく香るショコラの芳醇な香りは甘くて、ほろ苦い。 ──────…リカのような香り…… 「何ボーっとしてんの?」 「えっ!?ぁ…ごめんなさい…」 気付けば目の前にリカの顔があった。 近くで見ても整った顔立ちは迫力すら覚えるもので…睫毛の数まで数えられそうな距離は兎に角心臓に悪い。 慌てて距離を取ろうと後ずさったは、後ろを歩く人にぶつかってしまいよろけた。 「っ!?バカ!あぶねーだろうがっ!!」 咄嗟に引かれた腕の強い力に驚いていると、今度はリカの胸元にすっぽりと収まっていた。 自分とは明らかに違う逞しい躰は洋服越しでも分かるくらいで、の体温は一気に上昇した。 「ったく…何してんだよ」 「ごめんなさい…」 「それはもう聞き飽きたからいいよ」 呆れられてしまった… 折角街を案内してくれているのに、迷惑ばかり掛けてしまう。 不甲斐ない自分が情けなくて、はしゅんと肩を落とした。 「そんな顔すんな。この国にきてそんなシケた面は似合わねぇよ」 「リカさ……んっ!?」 唇に添えられたリカの人差し指がの声を遮った。 咄嗟の事に瞬きを繰り返すことでしか反応できずにいたにリカは不敵な笑みを口角に浮かべ、耳元に低い声で囁いた。 「街での俺は『ダーク』って言ったろ?それと…『さん』はいらねぇ。呼び捨てでいいし、敬語もやめろ。むず痒いから」 OK?と確かめるようにを覗き込むリカに、懸命に頷いて見せるとリカもよしと言わんばかりにクシャクシャとの頭を撫でた。 あっという間にボサボサになった髪を手串で整えると、リカはスッと手を差し出してきた。 意図が分からず不思議そうに見上げると、が訊ねるよりも早く手を取られた。 「お前危なっかしいから手繋いでてやる」 「大丈夫です!」 「ホラ、言ったそばから敬語」 「ぅ…だ、大丈夫だから離して?」 「ダーメ」 綺麗な笑顔で子供みたいな意地悪をするリカは本当に楽しそうで、そんな場合じゃないと分かっていてもはドキドキしてしまう。 繋がれた手からリカの体温が伝わってくる。 それは思いの外熱くて、大きくて、優しい温もり。 「ん~?顔、すっげぇ真っ赤」 「そんなことないで…ないからっ!」 いきなり敬語をやめろと言われても慣れないは口籠ってしまう。 言い直す様もリカは面白がっているようで、クスクスと楽しそうに笑っていた。 「ヤッパお前面白いな」 「もぅ~…からかわないで。これでも必死なのに」 「悪ぃ、拗ねんなよ。でもさ、お前といるの楽しいよ」 リカの柔らかい微笑みはこれまで以上にの胸を高鳴らせた。 叶うならば、この笑顔の傍にいたい…独り占めしたいと思ってしまうくらいに。 「なぁ、俺の名前呼んで?」 「え?」 「だ~か~ら、名前。まだちゃんと『さん』なしで呼んでもらってないだろ?」 「うん…じゃあ…ダーク?」 恐る恐る呟いてみるが、リカは首を傾げて唸ってしまう。 何か失敗してしまったのだろうかとオロオロしていると、繋いだままの手を引かれまた距離が縮まった。 視線を逸らすより先に、それを許さないとでもいうようなリカのもう一方の手がの顎先をそっと掬い上げた。 たまらずに目を泳がせていると、強い琥珀色の瞳に捉えられた。 「あの…ダーク?」 「リカ」 「え?」 「そっちじゃなくて『リカ』って呼んでみて」 「でも…」 「いいから!今だけ。…聞きたい」 逸らせない視線。怖いくらいにドキドキしては何も考えられないほどリカをまっすぐに見つめ、ゆっくりと唇を開いた。 「…リカ……」 まるでそれが特別な呪文でもあるかのように、躰中の熱が一気に沸き立つのを感じた。 リカは一度瞠目すると、再び開かれた瞳が優しくを見つめた。 「…うん、なんかいいな、それ」 互いの吐息が掛かりそうなほどの至近距離で見つめ合い、の心臓は高鳴るばかり。 そんな様子を知ってか知らずか、リカは微笑みを深くした。 指先でそっとなぞられた唇が痺れるように熱い。 「もう一回、呼んで?」 「でも…外なのに…」 「いいよ。こうしていれば他のヤツには聞こえないから」 「それに…っ!」 「ん…何?」 「…近いから、その…困る……」 「別にいいじゃん。でも、気になるってんなら…」 その時、ふと手首が解放された。…と思ったのも束の間。 リカの手はの腰へと伸ばされ、気付いた時には二人の距離はぐっと詰められていた。 さっきも感じたばかりのリカの広い胸の中で、今も尚視線をそらすことは許して貰えない。 「この方が自然だろ?それに、お前抱き心地いいし」 「そんな…」 「俺とこうしているのが嫌なら振りほどけば?」 ───…嫌じゃない……────── さっきも、今も。 リカと一緒にいて何度も感じる高揚感は心当たりがある。 そして、リカもそんなの思いに気付いているのだろう。 確信はなくても分の悪い勝負には決して手を出さない彼特有の余裕を帯びた笑みがそう語っている。 「リカ…」 名前を呼んだだけなのにたまらなく胸が締め付けられる。 こんなのもう疑いようもない。 リカが好き。その思いを確かめるようにはもう一度彼の名を呼んだ。 「その顔ヤバイな…此処が街中だってこと忘れそうになる。案内は明日にして、城に戻るか」 「どうして?」 「を独り占めしたくなった」 抱き締める力が強くなる。突然呼ばれた名前に驚く間もなくの肩口に顔を埋めるリカは甘えた様に頬を摺り寄せた。 「なぁ、俺の部屋行こ?っていうか連れてくから」 「リカ!」 艶っぽい声が耳元で囁くのに耐えきれず、はトントンとリカの背中を叩いて抗議したが、全く効く様子はなく、寧ろ楽しんでいるようにリカは微笑んだ。 漸く解放されたかと思えば両頬を包まれ、鼻先が触れ合いそうな距離まで近付く。 とてもじゃないが心臓がいくつあっても足りない状況には目眩さえ覚えた。 「ダメ、却下。反論は受付けない。…もう離してやらないよ」 その時初めてリカの頬も赤らんでいることに気付いた。 リカも同じ…そう思うだけでどこかホッとしていると、不意打ちとばかりに額に悪戯っぽいキスが一つ落とされた。 「マヌケ面」 「っ!?もぅ…リカの所為だよ」 「あぁ、ちゃんと責任とってやるからサッサと帰るぞ」 どこまでも不敵。そんな彼にどうしようもなく惹かれていく。 差し出された大きな手にそっと自分のそれを重ねると、離さないという言葉通りリカの指が絡められた。 ■戻る |