■仮初のプリンセス
文化祭の準備に追われる最中、は台本を片手に溜息を吐いた。 クラスの出し物は演劇。演目は『シンデレラ』に決まったはいいものの、まさか自分がシンデレラをやることになるとは思ってもいなかった。 公平な多数決で決まってしまったのだから仕方ない。 やるからには頑張っていい舞台にしなくては…と意気込んではいるが、セリフとは別にお城での舞踏会のシーンで頭を抱えていた。 物語の中でも一番華やかで盛り上がるお城の舞踏会だというのに、はどうしてもダンスが上手く踊れず、何度も王子役のアポロンの足を踏んでしまった。 アポロンも皆も初めてなら仕方ないとか、すぐに上達するから頑張ろうと言ってくれるが、一向に進歩の見えてこない自分が悔しくて、何より練習に付き合ってくれる皆に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 放課後の練習も一段落した後、は一人教室に残ってステップを踏んでいた。 持ち込んだ姿見に映る自分を見ながらは何度もステップを確認した。 一人ならばそれなりに踊れるのだが、相手がいるとなぜか失敗する。 本当に絵本の中から出てきたようなアポロンの王子様振りに緊張しているのかもしれない。 せめてもっとお姫様が似合うような見た目だったら自信が持てたのに…は鏡に映る自分にトンと手を突き呟いた。 「、何やってるんだ?」 「っ!?」 突然掛けられた声に思わず背中が跳ねた。 そっと振り返るとトールが不思議そうにを眺めていた。 「トールさん。どうして…」 「部屋でこれを作ってたんだがロキが邪魔をするからこっちに来た」 彼が両手に抱えていた大きな布の塊をの前に差し出した。 舞台でトールの配役はたくさんあるが木やらネズミやら脇役が多い。 その分、衣装の用意が大変そうだった。 衣装係は別にいるのだが、脇役組は衣装担当も兼任しているので必然的にトールは本番よりも準備段階の今が一番多忙なのだろう。 それに加えて悪戯好きのロキが放っておかないのだからきっと作業も思うようには捗っていないように思えた。 「衣装作るの大変そうですものね」 「まぁな。でも、こういうのはした事が無いから中々おもしろい」 「楽しんで貰えてるなら良かったです」 「それより、はどうしてここに?稽古は終わったんじゃないのか?」 「あー…えっと…実は───」 は舞踏会のシーンがどうしても上手くいかないので練習していることをトールに相談した。 すると、トールはふむと何か考えた様子での前に進み出ると、徐に手を差し出した。 「トール…さん?」 「基本はできているんだろう?だったら一人でやるより相手がいた方がいいんじゃないのか?」 「相手って、まさかっ!」 「なんだ、俺じゃ不服か?これでも一応簡単なものならお前よりは踊れるはずだが」 あまり表情を崩さないトールがフッと顔を綻ばせながら手を取るように促すので、は不覚にも顔に熱が籠った。 流されてそっと重ねたトールの大きな手はを優しく引き寄せると、もう一方の手が腰に回された。 「トールさんっ!ちょ、ちょっと…」 「今度は何だ。こうしないと踊れないだろうが」 「それはそうなんですけど…」 兎に角近い。 アポロンの時もそうなのだが、この密着した体制がどうしても慣れなくてソワソワする。 無意識に腰が引ける涼花をトールは何の悪びれもなく「それでは踊れないだろう」と言って引き戻されてしまう。 「あの、トールさん。お気持ちはすごく嬉しいんですが、私本当に全然ダメで、足とか踏んじゃうからヤッパリ止めましょう?」 「そんなの初心者にはよくあることだ。俺は人間の姿で力を抑えられているといってもお前に足踏まれたくらいじゃなんともないから気にするな」 「でも…」 「本番までに上手くなりたいんだろう?」 「それは…そうですが…」 「だったらやってみればいい」 優しい微笑みに促され、は覚悟を決めて頷いた。 「お願いします」と意気込めばトールの口角は更に嬉しそうな弧を描いた。 長身のトールと組むと顔は勿論見えず、結の前には彼の胸元だけ。 壁や空気を相手にするよりはマシだろうと言ったトールだったが、彼のリードは完璧だった。 「くっ!」 「ごめんなさいっ!!」 「大丈夫だ、気にするな。ほら、最初からやるぞ」 「…はい……」 それでもは度々ステップを間違えては盛大にトールの足を踏み付けてしまっていた。 トールは辛抱強くの練習に付き合ってくれた。 一つ一つ確認しながらその都度止まってが分かるまで丁寧に教えてくれるトールを見て、きっと元から面倒見がいいのだろうと彼の幼馴染み達の顔を思い浮かべは笑を零した。 「どうかしたのか?」 「あ、いえ…それより、本当にありがとうございます。まだ失敗しちゃうけど、前より大分上達してきたかなって…」 「ああ、は飲み込みが早い。ちゃんと数をこなせばもっとできるようになる」 「トールさんにそう言って貰えると本当にそんな気になります」 「そうか?」 「はい!」 思えば、学園に来てからこんなにトールと二人きりで過ごすのは初めてのように思う。 いつも賑やかな神達と一緒にいて、物静かなトールはそれに付き合うようにじっと見守っていることの方が多い。 1年間という限られた時間ではあるけれど漸く神達と打ち解けられるようになった。 はトールとももっと仲良くなって、卒業までの間にたくさん楽しい思い出を残したいとそう思っていた。 時間を忘れて練習していた二人は少し休もうと床に腰を下ろして談笑していた。 普段口数の少ないトールだが、ぽつぽつと話してくれるロキやバルドルと過ごした北欧神話の世界の話や人間の学校を模した箱庭学園の生活のこと、実際に結が通っている学校のことなど色々話した。 学園は目まぐるしく移り変わる季節と学校行事のオンパレードで中々忙しいが、みんなで集まってわいわい騒ぐのはやっぱり楽しい。 折角練習したのだから頑張って成功させようとトールもも誓い合った。 「私の練習にばかり手伝って貰っちゃってたら申し訳ないんで、この後トールさんの衣装も手伝わせてくださいね」 「いや、だが…」 「遠慮しないでください。困ってる時はお互い様ですよ」 「そうか。なら、頼む」 少し照れくさそうに頬を掻くトールはなんだか新鮮に見えた。 なんだが可愛いとさえ思えてしまったが、それは流石に言葉にするのは 「トールさんの持ってきた衣装って、ネズミの衣装ですか?」 「ああ」 「トールさんがネズミってちょっと無理がありますよね?」 「小さく屈むから問題ない」 190センチもある巨体がいくら屈んでもそれは限界があるというもので、存外巨大なネズミになることは必至だが、こうも自信たっぷりに言い切られてしまってはツッコミようもなく、何よりトール本人がどの役も気に入っているようなので楽しいならいいかともそれ以上は何も言わなかった。 そして、そろそろ休憩を終えようか立ち上がると、不意にトールが結の前に片膝を突いた。 「トールさんっ!?急にどうし───」 「───美しい姫君、どうか今宵私と一曲踊って頂けないでしょうか?」 それは劇中にある王子の台詞だった。 優雅で気品あふれる所作に見惚れているとスっと差し出された手と苦笑するトールがいた。 「折角だ、最後くらい付き合え」 「…はい!喜んでっ!!」 はシンデレラの台詞で応えると、トールの手を取り二人きりの教室でラストダンスを踊った。 静かな二人だけのダンスフロアをゆったりと流れるようなワルツ。 ステップを覚えた足がトールにリードされるまま不思議と今までよりも呼吸を合わせて運ばれていく。 「…ウソ…全部、踊れた……トールさん、私踊れましたよねっ!」 「ああ、完璧だった」 「あっ、ご、ごめんなさいっ!私、つい…」 嬉しさのあまりは思わずトールに抱きついてしまった。 慌てて離れようとしたのだが、一瞬早くトールの腕がの背中に回るとそのまま胸の中へと抱き込まれてしまった。 「トールさんっ!?」 「なんだ?」 「離して貰えないでしょうか…?」 「なぜ?」 「えっと…恥ずかしいです」 「そうか。俺は別に恥ずかしくない」 「そんな~」 踊っていた時でさえその距離の近さに戸惑ったのに、今はもう結の頬がトールの胸元にぴたりとくっついている。 トクトクと聴こえてくるトールの鼓動が、制服越しでも伝わってくる彼の体温がには全部刺激が強くて目眩を起こしそうだった。 キュッと目を瞑っているとトールの大きな手でそっと髪を撫でられたことに気付き、思わず肩が跳ねた。 「俺は王子なんて柄じゃないが、は本当にどこかの姫のようだな」 「何言ってるんですか、私なんてただの神社に生まれただけの一般人ですし、トールさんの方がずっと王子様みたいでカッコ良く…て…あ、いえ…その……」 言っていて段々恥ずかしくなってしまったは居心地の悪さに顔を伏せた。 とてもじゃないがまともにトールの顔を見ていられる心境ではない。 自分でも顔が真っ赤になってるでだろうことは火照る具合で想像がついた。 嘘を言ったわけではないが、本人を目の前にして、ましてやこんな風に抱き締められたまま言うのは流石に恥ずかしい。 「お前がそう思ってくれるなら悪くない。どうせ舞台では俺は王子になれないからな」 「トールさん?」 「だから、今だけは俺だけの姫でいて欲しい」 髪を撫でていたトールの手は結の耳を掠め、首筋から顔の輪郭をなぞると顎先を優しく掬われた。 俯いていたは自然とトールを見上げる形になり、その真っ直ぐな視線と対峙する。 吸い込まれてしまいそうな強い金色の瞳。 近付いてくるトールをじっと見つめていると、チュッと小さなキスがおでこに落とされた。 優しく目尻を下げたトールが、瞼や頬に次々とキスの雨を降らせてくる。 気が遠くなってしまいそうなはトールのブレザーをキュッと掴み耐えていると、腰に回された腕の力が更に増したのを感じた。 「なぁ…ダメか?」 「そんな訊き方はちょと狡いです…」 顔から湯気でも出ているんじゃないかと思うほど熱い。 こんな風に一方的にされても嫌じゃないのが更に困った。 はキュッと下唇を噛み締め、おずおずと両手でトールの頬を包み込むとそっと瞳を閉じた。 程なくして触れ合う唇の感触で二人の物語が始まりを告げた。 ■戻る |