■約束の巻き戻し【後編】



【-後編-】

約束の日、は日向の自宅を訪れた。 日向に髪を切って貰う為に来たは先日よりももっとラフな出で立ちで、それは日向のよく覚えのあるに近いものだった。 ちょっと会わない間に…そうは日向に言ったけれど、だって充分変わったと日向は思っていた。 見た目だけ…5つも離れていれば当然なのだが、それでも置いていかれた気分にはどうしてもなる。

「ホラ、準備できてるからコッチ座って」
「ん、ありがとう」

店を閉めた後を貸し切って二人、鏡越しに視線を交わした。
がどういう心境なのか一切分からない日向は、妙な緊張感の中ハサミを構えた。

「で、どんぐらい切るんだ?揃えるだけで良いんだよな?」
「順平が私に似合うと思う長さにして」
「は?」

突拍子もない事を言うのは毎度の事だが、日向はいよいよ全く意図が読めなくなった。

「お前なぁ~、の髪なのになんで俺が決めなきゃなんねーんだよ」
「いいじゃない。初めて順平に切って貰う時は順平の好きにさせるって決めてたんだから」
「なんだよそれ。…一応、女なんだから髪とか大事なんじゃねーの?」
「…うん。大事だよ。これでもちゃんとヘアケアしてるんだから…キレイなもんでしょ?」

の言うように背中まで伸びたストレートヘアは、艶やかで手触りのいい、痛みも見られない綺麗な髪だ。

「だったら尚更だろ?そもそも切る必要ねーんじゃねーの?」
「いーやーだー。順平に切って貰うまで帰らないからね~♪」
「…いい加減にしとかねぇーと坊主にしちまうぞ」
「…いいよ。順平が私に似合うと思ってそうするなら、坊主でもなんでも」

流石に冗談で言っただけだった。 けれど、返ってきたのは思いの外静かなトーンで、鏡の中のは優しく微笑んでいる。 日向はゴクリと生唾を飲み下した。

…お前、本当にどうしたんだよ。大体、この間会った時からお前変だぞ?」

「……あーぁ、ヤッパ覚えてないでしょ?」

呆れ返ったように盛大な溜め息を吐くと、今度は鏡越しではなく、は身体を捻って直接日向を見上げてきた。 これ以上ない程不服そうに、恨めしそうに睨みつけて。

「な、なんだよ!俺が一体何を忘れてるって…───」
「───いつか絶対の髪切らせろよ。俺が一番美人にしてやるんだからな」

日向を遮って呟かれた台詞は、ストンと日向の中に墜ちていった。 …思い出した。幼い頃のひとコマ。 それは間違いなく日向がに向けて言った言葉だった。

「っつーか、よくそんなガキの頃の話覚えてんな」
「うん、だって……嬉しかったから…私も子供だったけど、未だにあれ以上にグッときた口説き文句ってないんだもん」
「く、くどっ!!……ガキの頃の話だろ。今の今まで忘れてたんだぞ?」
「ホントだよ。なんて薄情な奴なのさ。…責任取んなさい」

ジト目で見つめるに日向は思わず後ずさった。

「時効だろ、どー考えてもっ!!」
「何よ、いいじゃない髪切るくらい」
「どごがだよっ!大事にしろっつってるだろっ!」
「だからっ!…大事だから…順平に切って貰いたいんじゃない…ダメなの?」

ずっと大人になって、どんどん先へ行ってしまっていたと思っていたが、今は駄々を捏ねる子供のように見えた。 それでいて、真っ直ぐに見つめてくる瞳は潤みを帯びていて、酷く扇情的だ。 そんなとこだけ『女』を出すなんて反則だと日向はに見えない拳をギュッと握り締めた。

「バカ…そんな風に言われたらな、普通…勘違いしちまうんだぞ、男はっ!お前、そーゆーの分かってんのかっ!?」
「…してよ……」
「なっ!?」
「勘違いじゃ…ない…けど……」

日向は一気に上昇する体温と、全身の毛穴が開いていくのを感じた。 次に何を返せばいい? 頭の中で自問自答を繰り返すが、適当な答えが見つからない。

「ねぇ…何とか言ってよ。これでも、結構恥ずかしいんだから…」
「お、おう…」
「順平、ちゃんと分かってる!?私、順平のことが好───」
「───だぁ~ッ!たんまっ、たんまっ!スト~ップッ!!わーってるからそれ以上言うなっ!頼むからっ!!」
「なんでそんなこと言うの…そんなに嫌だったの…?」

見れば、は大きな瞳にいっぱいの涙を溜めていたからギョッとした。

「バカッ、…勝手に言いたいことだけ言いやがって、早とちりすんな…」
「ちゃんと言ってくれなきゃ分かんないもん…」

暫く交えた視線。根負けしたのは日向の方だった。 ハァーッと大きく息を吐き、の肩を掴み、鏡の方へと向きを直させた。
来た時と同じに鏡越しに視線を合わせるが、その距離はずっと近い。 日向はの耳許に顔を寄せていた。

「ったく、今の、どっちが年下か分かんねぇぞ。でも…悪くねぇな。なんか可愛い事言うし……」
「順ぺ…ぃ…」
「カットするから、ちゃんと前向いてろ」
「…ぇ?」
「なんだよ、お前が言ったんだろ?…勘違いしていいって…」

唇を尖らせ、視線を泳がせながら言うのが精一杯だった。 お陰でが頷くところをちゃんと見れなかったが、構わず日向はハサミを構え直した。 最初のひと房を手に取ると、日向はしっかりとを見据えて告げた。

、俺がこれから一番美人にしてやる」

幼かった頃の約束は忘れてしまっていた。 だから、仕切り直しだと言わんばかりに。
鏡越しに映るは満面の笑みを浮かべてこくりと頷いた。




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