馬当番 ~小狐丸の天敵~ [1]






本日の馬当番は──────



『小狐丸』。






廊下に貼りだされている当番表にある自身の名前を確認すると、小狐丸は大きな溜息を零して項垂れた。

「……またこの時がきてしまったか。さて、どうしたものか…」

本丸に属する刀剣男子である以上、内番も大切なお役目の一つに違いない。 ましてや、戦場で重要となる馬の世話となればやらない訳にはいかない事もまた然り。 そうして、廊下に立ち尽くしては悶々と一人唸る小狐丸は背後からくる気配にも気付けなかった。

「如何されましたか、小狐丸殿」
「っ!?…ん?なんじゃ、鳴狐に供の狐か」

声のする方へつまらなそうに細められた視線を眼下に向けると鳴狐とお供の狐が見上げていた。 面皰の奥に潜む鳴狐の瞳が僅かに揺れると、お供の狐はフワフワのしっぽを大きく揺らして小狐丸に身を乗り出した。

「お見受けしたところ、何やらお元気のないご様子で鳴狐が心配しております」

見れば、じっと見つめる鳴狐のガラス玉のような双眼と視線がかち合う。 口数が極端に少ない上に顔を面で覆っている鳴狐の感情をうかがい知ることは容易ではないが、 お喋りなお供のお陰で何とかやり取りも成立している。
小狐丸にとって主以外は特にどうということもない存在なのだが、 同じ狐の眷属である鳴狐には小狐丸が本丸に顕現して以来どうにも懐かれているらしく、 取り立てて理由もないのに無碍にする事も出来ず放っておいたら主には仲が良いと映っているようで、 出陣や内番でよく組まされることが増えた。 そして、今回の馬当番もまた鳴狐の名も当番表に並んでいた。

「いや、大したことではない。ただ…今日の馬当番がちと憂鬱でな」
「ほほぅ、小狐丸殿は馬が苦手でございましたか!」
「何を申すか、私は好物はあれど苦手なものなどありはせん。 馬とていつも出陣の際にはどの馬であろうと問題なく跨って御しておるだろう?」
「これはこれは失礼致しました。では、やはりあの匂いでしょうかねぇ~? かく言うわたくしも厩の匂いはどうにもなれません…他の動物と言うだけで良い気はしないのですが、 鼻が曲がってしまうかと冷や冷やしております」
「なるほどな。確かに動物そのもののおぬしにはちとキツイか…私も好ましい香りとはお世辞にも申せぬが 馬も動物である以上は致し方あるまい。まぁ、おぬしは離れた所におるがよい」
「お心遣いありがとうございます!小狐丸殿は本当にお優しゅうございますな!
……はて?匂いでもないとすれば一体何に気をもんでらっしゃいますのやら……」

首を傾げるお供に並んで鳴狐も小首を傾げた。

「……まだ仲悪いの?」

ポツリと呟いた鳴狐の一言に、小狐丸の髪がぴくりと跳ねた。

「戯けたことを申すでない。さっきも申したように出陣では…───」
「…前の当番の時も馬たちが小狐丸に悪戯してた」

綺麗に整えられた銀髪が更にぴくりと跳ねたのを見てお供もおや?と小狐丸を凝視した。

「なんじゃ、見ておったのか」

小狐丸はバツが悪いとばかりにチッと小さく舌打ちして鳴狐を見下ろすと、こくりと静かに頷いた。

「よいか、鳴狐。誤解が無いよう申しておくが、私は馬ごときに臆しているわけではないぞ。 ぬしさまの命により仕方なく世話をしてやるというのに可愛げのない態度が腹立たしいだけだからな」
「……わかった」

もの言いたげな感じにも思えたが、取り敢えずの了承を得られたものとして小狐丸は安堵した。 ならばこの話は終いだと自室へ向けて踵を返した。

「では後ほど厩でな。私は着替えて参る。そなた達も遅れるでないぞ」
「はい!わたくしめも精一杯働く所存ですぞ」
「あ~お主は気張らずともよい。鼻を労わってやれ」

息まくお供の小さな額をポンポンと撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。

「おぉ~これはこれはかたじけない!なれば、少し離れた所から皆様の有志を見守らせて頂きます!」

ふわりと翻る銀糸の髪。ほんのりと残り香を置いて小狐丸は優雅に歩き出す。 後ろで声を張るお供にひらひらと手を振って去る姿はとても優美で自然な所作だった。






「あるじさまーいらっしゃいますかぁ~?」

元気な声にどうぞと応えると、すぐさま襖が開かれ、 飛び出すように現れた今剣と鴨居をひょいと慣れたように潜り抜けて岩融がやってきた。

「あるじさま、あるじさま、きょうのおうまとうばんはぼくたちもいっしょなんですよ!」
「うん、二人とも迎えに来てくれたの?」
「そうですよー!だからはやくいきましょう」
「まぁ待て、今剣よ。見た所主はまだ着替えておらんではないか。おなごの支度を待ってやるのも男の務めぞ」

岩融はに飛びつかんばかりの今剣をひょいと捕まえ、自分の膝に抱きかかえながら言い聞かせると、 今剣もはーいと元気に手を上げて答えた。 微笑ましい二人のやり取りはいつ見ても心が和む。
はクスクスと笑みを零すと、二人を残して席を立った。

「ごめんね、今やっと書類が片付いたの。着替えてくるからちょっと待っててね」
「構わん、まだ刻限には早い。ゆるりと支度するが良い」
「いわとおしといっしょにまってますね!」

二人の笑顔に見送られ、稀美奈は奥の間へと着替えに向かった。
内番を始め本丸内では生活を共にする刀剣男子たちが当番制で色々な仕事をこなしている。 本丸を預かる身である審神者のは、本来こうした仕事をやらなくてもよいのだが、 書類仕事が大半を占める審神者業の合間に彼らと汗を流すのはちょうどいい気晴らしにもなるので気に入っていた。 刀剣男子たちもまたがいると気合いが入ると言って歓迎してくれる。 始めの内はその日の気分で内番を回っていたのだが、いつしか公平になるようにとその日向かう内番先も先に決められているようなった。
そして、今日は馬当番の日。
出陣には欠かせない大切な仲間でもある馬たちの世話をは好んでいた。 まだ一人で馬を駆ることはできないが、世話をするようになって馬たちが徐々に心を開いてくれるのを感じるとより一層楽しめた。 大きくて澄んだ眼をした彼らは本当に可愛い。 だが、今日の当番の面子の中に少しばかり気になることもあった。

「お待たせ。そろそろ行こうか」
「はい!」
「おお、参ろうぞ」

着替えを済ませたは汚れてもいいようにと上下スウェットに着替え、髪をゆるりと後ろにまとめる。 普段の着物とは違い、ラフなスタイルで動きやすく見も軽い。 今剣は嬉しそうにの腕に飛びついてはニコニコと眩い笑みを振りまいていた。

「こら、今剣。そんなにひっついては主が動きにくいだろう」
「えっ!?だめでしたか?あるじさま~」
「うんん、大丈夫よ。今剣と一緒に馬当番するのは久し振りだから楽しみだったの」
「ほんとですかー!!やったぁ~ぼくもすっごく、すっごくたのしみだったんですよ!ぼくとあるじさまはいしんでんしんですね!!」

の手を離したかと思えばぴょんぴょんと辺りを飛んで回る今剣は本当に元気いっぱいだ。

「主の前でそう跳ね回るでない。ちょっとは大人しくしておれ」
「む~っ、つまらないです!」

そんなすばしっこい今剣を岩融はいとも容易く捕まえると、そのまま自分の肩に乗せて静まらせた。 少し不満げに頬を膨れてみせた今剣だったが、岩融の肩車は彼のお気に入りだ。 すぐに誰よりも高い景色にご満悦の表情を取り戻した。

「…ねぇ、今日の馬当番って確か小狐丸もいたよね?」
「うむ、小狐丸殿がどうかしたのか?」
「あるじさまのおへやにいくとちゅうでもごあいさつしましたよ」
「うん、ちょっとね…小狐丸何か言ってたかな?」
「我々も挨拶を交わした程度で特には何も申しておらんぞ」
「のちほどうまやでおあいしましょうっていってましたよ。もうさきについてるかもしれませんね」
「そう…ならいいんだけど……」

歯切れの悪いの様子を気にしつつ、岩融と今剣はの横について厩へと足を進めた。






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