馬当番 ~小狐丸の天敵~ [2]
「あ゛ぁ~!何度やっても俺が馬当番っておかしいだろ!」 掃除用の水を汲んできた鶴丸は隣を歩く物吉にずっとこの調子でいた。 「そんなことないですよ。皆やってる事ですし。それに、鶴丸さんは面白い事お好きだから丁度いいじゃないですか」 「あのな、俺が好きなのは面白い事じゃなくて驚き!ビックリするような驚きが好きなの。馬当番に驚きといったら俺が当番やってる事くらいだ」 「あはは、なんだ、ちゃんと驚くことあって良かったじゃないですかぁ~」 「お前なぁ~…」 呆れかえる鶴丸を他所に、物吉はニコニコと笑顔を振りまいた。 「おい、お前たち遅いぞ」 厩の前で迎えたのは大倶利伽羅。 その手には既に竹ぼうきを構えて準備万端の様子。 「すみません、お待たせしました~」 「おー伽羅坊!なに、そう急くな。馬当番は逃げやしないさ」 「やかましい。主はもうとっくに着いて始めてるぞ」 「ん?あ、そうか。今日は主が来る日だったな。じゃあ俺も早速主の所に行くとするか…」 汲んできた水を地面に置いてを捜しに行こうとした鶴丸だったが、すぐさま大倶利伽羅に肩を掴まれ阻まれた。 「待て。主なら小狐丸、岩融、今剣を連れて馬を放しに行ってる。それと、鳴狐と薬研は牧草を用意している。俺たちはその間に厩の掃除だ」 「え~俺も主のとこがいい!」 「煩い。黙って働け。…行くぞ、物吉」 「はい!」 大倶利伽羅に引きずられながら連行された鶴丸も渋々と緩んだ 鳴狐と薬研が納屋から戻ると物吉が大きく手を振りながら二人を迎えた。 「鳴狐さ~ん、薬研く~ん、お帰りなさい」 「おぉ、お前たちも戻ってたか。鶴丸のダンナは逃げ出してないかい?」 「はい、大倶利伽羅さんにしっかり見張られてるんで」 「なるほど。そりゃ何よりだ。大将も来てることだし、今日くらいは流石のダンナも大人しく働くかな」 何かと脱線したがる鶴丸には打ってつけのお目付け役だと薬研は頷いた。 荷車には稲わらと牧草がそれぞれ山盛りに積まれている。鳴狐は早速小さな台車に小分けに取り分けていた。 「小屋の中も大分綺麗になりましたよ」 「よし、そんじゃ新しい稲わらでも敷いてやるとするか」 「はい、僕もお手伝いしますね」 「ありがとな。助かるぜ」 「いえいえ…って、あれ?」 薬研と会話をしつつも何やら違和感を感じた物吉がふと鳴狐を不思議そうに見つめた。 「鳴狐さん、そういえばお供くんは一緒じゃないんですか?」 いつもならお喋り大好きなお供の狐が会話に入ってきてもいいようなものだというのに、一向に姿を見せずにいた。 物吉が心配そうに具合でも悪いんですか?と尋ねると、鳴狐はゆっくりと首を振ってそれを否定し、静かに荷車を見つめた。 釣られるようにして視線の先を見てみると、牧草の中に黄金色の毛玉が見えた。 物吉はパタパタと駆け寄って、中を覗き込んでみる。 するとそこには丸くなってスヤスヤと気持ちよさそうに眠るお供の姿があった。 「あらら…寝ちゃったんですね」 「やけに大人しいと思ったら…ったく、しょうがねぇな」 物吉の脇から薬研も覗き込み、軽くこめかみを掻いた。 「で、コイツはどーすんだ?鳴狐」 「……そのままでいいよ」 当たり前のように呟かれた一言に、一同は顔を見合わせた。 「そうですね。気持ちよさそうだし、餌やりの時までは寝かせてあげましょう」 「まぁいいけど。馬に食われないようにしないとな」 「…うん、気を付ける」 そう言って鳴狐はお供の頭をそっと撫でた。 ピクリと大きな耳が一瞬跳ねるが、すぐにまた夢の中へと沈んでいった。 厩の入り口では痺れを切らした鶴丸が皆を呼びに外に顔を出してきた。 一方、厩の掃除中に馬たちを放牧に来たたちは草を食べさせたり、一頭ずつ体を洗ってやったりと手分けして世話をしていた。 本丸に来たばかりの頃は、馬にも乗れず、体の大きな馬たちの世話も怖かっただが、刀剣男子の皆に世話の仕方や乗り方も教えて貰い、今ではすっかり手慣れたものだった。 馬によって気性が違ったりもするが、どの馬も大人しく世話させてくれるようになったのが嬉しくもあった。 「あるじさまー!ぼくたちでむこうのうまのおせわしてきますね!」 「うん、お願いね」 「うむ、任せておけ。だが主は我らがおらんでも平気か?」 岩融はこうしていつも気に掛けてくれる。 その優しさにはありがとうと告げた。 「近くに小狐丸もいるし、大丈夫だよ」 「承知した。だが、何かあればすぐに呼んでくれ」 「分かった。じゃあまたあとでね」 岩融と今剣を見送ると、は小狐丸の方へと視線を向けた。 いつもならがいる時は誰よりも先に傍らに寄り添ってくる小狐丸が、今日は難しい顔をしたまま全然に近付こうとしない。 だからと言って、故意に避けられているのともまた違うようで、が話し掛ければ普通に応じてくれるのだが、それもどこか心此処に在らずの状態だった。 「…小狐丸」 「ぬしさま、どうされましたか?」 「そうじゃないんだけど…ねぇ、小狐丸…どこか具合悪かったりしてない?」 どうにも意表をついたのか、小狐丸は一瞬目を丸くしたがすぐに優しく目尻を下げて微笑んだ。 「私はどこも悪くしておりませんよ」 「本当に?だって、なんだか今日は元気ないみたい」 「おやおや、私としたことがぬしさまのお心を痛めるとは…不甲斐ないですね。でも、心配には及びません。私はいつも通りちゃんと元気ですから」 「それなら良いんだけど…でも、何かあるならちゃんと話てね?」 「えぇ、ありがとうございます。ぬしさまは本当にお優しいお方ですね」 綺麗な微笑みはいつもの彼そのもので、の思い過ごしだったのかもしれないと安心しようとした時だった。 一頭の馬が小狐丸の後ろに立ち、あろうことか彼の髪をパクリと口に入れてしまったのだ。 「い゛ぃ!?こやつめ、何をっ!離せ馬鹿者が!…痛っ!!」 「小狐丸!大丈夫っ!?」 も慌てて駆け寄り、何とか小狐丸から離れた馬を落ち着かせたのだが… 「馬風情が…私の髪を…ぬしさまに褒めて頂いた私の髪を…おのれ……」 「小狐丸?」 噛まれた後は無残としか言いようがなく、いつも艶やかに整えられている小狐丸自慢の銀髪はボロボロになってしまった。 そして、怒りを滲ませる彼の様子は普段の紳士的な振る舞いとはかけ離れ、野生に還った獣のように鋭い眼光を光らせていた。 「小狐丸、落ち着いて!この子も悪気があってやったんじゃないと思うの。だから、ね?」 「いいえ、たとえぬしさまのお言葉であっても今回ばかりは聞けません。使役される身でありながら一度ならず二度までもこの小狐を愚弄した罪は重く…万死に値します!」 『二度までも』。小狐丸がそう言ったのをは聞き逃さなかった。 そして、これで先刻まで感じていた違和感にも腑に落ちた、と。 「やっぱりこの子あの時の子だよね…」 「えぇ、左様にございます。流石はぬしさまですね」 「でも、相手は馬なんだから許してあげよう?」 は縋るように小狐丸の袖をキュッと掴み、懇願するも今の彼には見えていないようで、小狐丸はじっと厳しい視線を馬に向けていた。 「いえ…こやつめは最早私の天敵です」 喉奥を震わせる程に怒りを抑えきれない低い声音が一言、そう告げた。 ■戻る |